クレオパトラの略歴

紀元前51年、クレオパトラ7世は父プトレマイオス12世の死去を受けて王位(ファラオ)を継承しエジプトの単独統治を開始しました。

クレオパトラ7世には、2人の姉がいたがともに早世・処刑などで死去したため、プトレマイオス12世の生存する子女のうち最年長であったクレオパトラ7世がファラオに即位したとされます。

その後、クレオパトラ7世はエジプト王家の伝統に従い、弟プトレマイオス13世(在位、紀元前51年−紀元前47年)と結婚して共同統治を開始しますが、ローマの外圧やプトレマイオス13世、プトレマイオス12世の別の娘の、妹アルシノエら肉親との権力闘争に悩まされました。

クレオパトラとカエサルとの出会い

紀元前48年の春、共同統治に不満を持つプトレマイオス13世がクレオパトラ7世をアレキサンドリアから追放しました。

おりしも、ポンペイウスを破ってエジプトに入ったユリウス・カエサルはクレオパトラ7世と密会すると、反ローマ勢力であったプトレマイオス13世を攻撃してナイル川に溺死させました。

この時、プトレマイオス13世と結託し、クレオパトラと敵対していたアルシノエは、ローマ軍に捕らえられ、 ローマの凱旋式で引き回されました。

クレオパトラとカエサルとの出会い2

プトレマイオス13世敗死後、クレオパトラ7世は別の弟プトレマイオス14世と結婚して共同統治を再開するが、カエサルとの間に情交を重ね、紀元前47年、息子カエサリオンをもうけた(カエサルの父親説については異論もあります)。

プトレマイオス14世との共同統治はカエサルの後ろ盾を得て成立しており、実際はカエサルの傀儡であるクレオパトラ7世による単独統治が実像でした。

紀元前46年、クレオパトラ7世とカエサリオンは、凱旋して独裁官に就任したカエサルに招聘されローマに滞在することになります。

カエサルの庇護の下に平穏な日々を過ごすローマ滞在であったが、紀元前44年、カエサルが暗殺されるとクレオパトラ7世はカエサリオンを連れてエジプトに帰国しました。

クレオパトラとカエサルの死後

クレオパトラ7世は嫡子のいないカエサルの後継者にカエサリオンを望んでいましたが、カエサルは庶子に当たるカエサリオンを後継者に指名することはありませんでした。

紀元前46年、既にカエサルは遠縁の養子ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌスを後継者と定めていたからです。

クレオパトラ7世のエジプト帰国前後、名目上の共同統治者であったプトレマイオス14世が死去すると(死因不明、クレオパトラ7世による毒殺説もある)、クレオパトラ7世は幼いカエサリオンを共同統治者に指名しました(プトレマイオス15世、在位、紀元前44年9月2日−紀元前30年8月12日)。

エジプトとローマの同盟関係はクレオパトラ7世とカエサルの個人的信頼関係によるところが大きかったためエジプトはローマとの同盟政策を見直します。

カエサル暗殺の混乱を経てオクタウィウスとマルクス・アントニウスの間に権力闘争が開始されると、クレオパトラ7世はアントニウスに接近しました。

アントニウスがエジプトに近接するシリアなどの東方地域に勢力を持っていたため、クレオパトラ7世はアントニウスと利害が一致しこれと同盟したのです。

また、クレオパトラは、小アジアのエフェソスにあるアルテミス神殿に逃げ込んでいたアルシノエを、アントニウスに頼んで殺害させました。

クレオパトラとカエサルの死後2

エジプトと同盟したアントニウスは政略結婚していたオクタウィアヌスの姉オクタウィアと離婚し、アレキサンドリアでクレオパトラ7世とエジプト式の結婚式を挙げました。

その後、2人の間には紀元前39年に双子の男女のアレクサンドロス・ヘリオスと、クレオパトラ・セレネが、紀元前32年には、もう一人の男の子のプトレマイオス・フィラデルフォスが誕生し、アントニウスはローマに帰還することなくアレキサンドリアに滞在し続けました。

エジプト人のように振舞っているというアントニウスの噂に失望したローマ市民は、アントニウスとの決戦を望んでいたオクタウィアヌスを強く支持するようになりました。

クレオパトラとアクティウムの海戦

紀元前31年、クレオパトラ7世・アントニウス連合軍とオクタウィアヌスが率いるローマ軍がギリシャのアクティウムで激突しました(アクティウムの海戦)。

この海戦に敗れたアントニウスは、戦線を離脱してエジプトに帰還するクレオパトラ7世の船を追って敗走しました。

ローマ軍から、部下を置き去りにし女を追って戦場を後にしたと嘲笑されたアントニウスは、さらに追撃してきたローマ軍に完敗してアレキサンドリアに逃げ込みました。

クレオパトラとアクティウムの海戦2

敗走の中でクレオパトラ7世死去の誤った情報に接したアントニウスは自殺を図り瀕死の状態でクレオパトラ7世の元に送られ息を引き取りました。クレオパトラ7世自らはオクタウィアヌスに屈することを拒みコブラに身体を噛ませて自殺したと伝えられています。

エジプトを征服したオクタウィアヌスは、紀元前30年、捕らえていたカエサリオンを処刑しプトレマイオス朝を滅亡させると、自らファラオの称号を名乗りエジプトを皇帝直轄地(属州エジプト)としてローマに編入しました。

クレオパトラの評価

フランスの哲学者ブレーズ・パスカルによれば、クレオパトラ7世がその美貌と色香でカエサルやアントニウスを翻弄したとして、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら(※正確には短かったら 鼻参照)歴史が変わっていた」と評しました。

一方、古代ローマ時代の歴史家プルタルコスはクレオパトラ7世を、複数の言語(ギリシャ語・エジプト語・シリア語・パルチア語・アラビア語・ラテン語など)に通じた政治・軍事・外交に長けた高貴で知的な女性として伝えています。

ちなみに、世界で最初にフェラチオをしたのはクレオパトラと言われています。